第1章「悪魔なんて最低だ」



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【第1章―6】

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 ジリジリと、指が熱を感じる。熱いわけではない。常に身を守るために全
身を覆う光力が、魔力に削られる。その感覚が鈍い痛みとして、焼けるよう
な錯覚を訴えている。
 それでも、そんな些細な感覚のために、羽根を手放すわけにはいかない。
 剣は未だ遠く、素手で相手をするにしては、敵の牙も爪も鋭い。
 「ふむ……なかなかに、狩りがいのある獲物のようだ」
 大柄な鳥の悪魔が、独り言のように、そう呟く。
 (ここが、地獄か)
 そう、思う。改めて、認識する。
 言葉が通じることなど何の意味もない。地獄の領土に踏み入った侵略者と
してでもない。長い歴史の中の倒すべき相手としてでもない。
 ただの獲物=B
 それだけ。
 獣の理論だ。
 食べられるのか、食べられないのか。食べる側なのか、食べられる側なの
か。その見極めがあるのみで、そこに相手の個の意思は全く関係がない。
 理性的なものは何もない。倫理道徳? 問うだけ無駄だろう。
 その世界に、堕ちて来たという実感。
 世界の全てに牙を向けられる感覚。
 この場を切り抜けるためにはやはり剣が必要だ。
 いや、たとえ切り抜けられたとして、その先でもやはり剣は必要だ。
 天使は視線を鳥の悪魔にやったまま、気配だけで、最初の悪魔を探す。
 最初の悪魔は、悪魔たちが集まって来てからというものうろたえるばかり
で、気配も研ぎ澄まされていない。そのすぐ側に、白剣があるはずだ。
 天使が最も警戒しているのは、鳥の悪魔でも、猫の悪魔でも、木の悪魔で
もなく、戦闘体勢を取ってすらいない最初に現れた悪魔だった。
 彼の実力の片りんは見た。それが全力ですらなかったこともわかっている。
 最も恐れなければならないのは彼で、その側に、白剣がある。
 敵に回したくもないのだが、相手の思惑もさっぱり読めない。
 最初は口に出した通り、「時間稼ぎ」かと思った。しかしいざ仲間の悪魔
が現れると戦いを止めようとした。そして今は、戦闘に加わるでもなく、去
るでもなく、考えあぐねているようだ。
 何を悩む必要があるのかと、それが読めない。
 読めれば、敵に回さず済むかも知れないが、想像が及ばない。
 「ファート、なんとかしなよ!」
 動かない状況に痺れを切らしたのか、猫の悪魔が遠巻きからそう叫ぶ。
 「はあっ!? なんであたしが!」
 即座に木の悪魔が怒鳴る。
 そんなやり取りに鳥の悪魔は参加せず、しかしどちらかが動けば必ず動く
ことだろう。ぴったりと合わさった翼はそよぎもせず、まるで石像のように
不動だが、小さな赤い両目は天使に向けられたまま瞬きもしない。
 それに対し、こちらも不動。視線は動かさない。
 無言の、応酬。
 互いへの牽制だけで時間が埋まる。
 「……カツェント」
 先に破ったのは、鳥の悪魔だった。
 声を出しているのに、くちばしもろくに動いたようには見えない。
 動きを見せようとしない鳥が読んだ名前に、天使の神経がさらに鋭利にな
る。
 それは、最初に現れた悪魔の、名だ。
 「あん?」
 突然呼ばれ、驚いたのだろう、彼は間の抜けた声で応える。
 「そこから動くな」
 低く、相変わらず何の動作もないまま、鳥は告げた。
 天使はわずかに、目を細めるだけに留める。

 この鳥は理性的だ。目的は食事でしかないが、状況をよく見て、的確な行
動を取るといった点は、獣からかけ離れた行為だ。この悪魔たちの中で、最
も知恵者なのだろう。
 猫は直情的だ。動作はすばやく厄介だが、行動はシンプルで読みやすい。
 木はこちらの隙を読むのが上手い。相手のミスを誘発させて追い込む。ペ
ースを取られれば致命的となるが、油断さえしなければ予測はつく。
 鳥はこちらの意図をも読んだ。
 最初の悪魔をこちらが警戒していることを察せられたのだろう。
 そのための、今の指示だ。
 彼がその場を離れなければ、白剣は手に入らない。

 (―――どう答える)
 天使は、思考の奥深くで願った。最初の悪魔の意図は読み難い。本来なら
ば、ここで「動かない」を選ぶのが、定石。しかし彼はこれまでも予想外の
返答ばかりしてきた。もしかしたら鳥に反発するために動くかも知れない。
この場を去るかも知れない―――いや、面白みを求めている以上、それはな
いことか―――。
 自らの生み出す考えが、ただの希望による願望で、理屈に沿っていないこ
とに気付き、思考が沈む。
 その瞬間、視界の隅で光が翻った。
 しまったと、心臓が跳ねる。一足で飛びかかれる位置には誰もいなかった。
 しかし、投擲が鳥の羽根だけとは限らない。未だ視界の中にいる鋼の鳥は、
不動のまま。光は、左の隅。
 身体が求める感覚のまま、視線を投げ、何を思案する間もなく、映った形
に、森の中のその一線に、思わず、空いていた左手を出した。
 受け止める。
 あまりに、見慣れた色だった。
 そのため、警戒や考えが及ぶよりも先に、腕が勝手に動いてしまった。
 握りしめた感触は、しっかりと、自身の白剣の質感だった。
 困惑が拭えないまま、天使はさらに視線を上げた。
 その先に、最初の悪魔がいる。
 白剣を投げたらしい右腕はまだ、こちらを向いたままだった。


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