第1章「悪魔なんて最低だ」



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【第1章―5】

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 悪魔は戸惑っていた。予想外の事態だ。しかもなんだか天使からは最高に
鋭利な視線を投げられている。大地に突き刺さっている鋼の羽根なんかより
ずっと危ない。氷は燃えないが、もしも燃えたら、こんな色なんだろう。
 「えっと……」
 なんだか言い訳をしたくなる。しかしそもそも、自分は何もしていない。
こんな視線を浴びせられたとて、弁明出来ることなど、初めからありはしな
いのだ。
 「【累絶の大戦】が終結してから2年以上……天使の肉は久しぶりだ」
 その思考を、おぞましい声が止める。聞いているだけで肌が粟立つような、
太く、暗い声。
 それがのそりと、木々の合間から姿を現した。朽ちた鋼をめちゃくちゃに
接合したような、歪んだ鳥。熊のように大きく、その翼は身体をぴったりと
覆っている。
 天使がそちらに視線を移す。
 ようやく天使の視線が外れてほっとする間もなく、今度は森からすばやく
飛び出して来た影に目を奪われる。
 それは天使の死角から真っすぐ跳躍し、伸びた鋭い爪で飛びかかる。
 音か、殺気か、どちらにしろ天使はその攻撃を読み、身体を最低限の動き
だけで移動させ、攻撃を避け切る。
 地面を引っかく形になったのは、長細い形をした猫のような悪魔で、それ
は悔しげに目を細めて、再び飛んで距離を置く。
 「はっ、まだまだ甘いね天使サマ!」
 次いで、嘲笑が天使を襲った。
 唐突なそれに驚く様子も見せず、天使は冷静に、振り下ろされた細い腕を
手の甲で受け止め、いなして身体を回転させる。
 天使の背後に唐突に現れたのは、痩せた木のような悪魔で、かろうじて人
型をしている。その腕からはツタを絡ませたような長い爪が伸びている。
 木の悪魔は数歩天使から離れ、幹に埋まった赤い石のような目を細める。
 「しかも上肉じゃあないか。ご覧よ、なんて立派な白い翼!」
 簡単に自身の攻撃が退けられたというのに、そんなことはどうでもいいか
のように、木の悪魔が喜ばしげな声を上げる。
 まるでそれに呼応するかのように、周囲の木々がざわめき始める。
 「天使ダ、天使ダ」
 実際には光を避けるように周囲の木々の枝へと集った小さな鼠や鳥の形を
した悪魔や魔獣たちが同じく歓喜の声を上げているだけのことなのだが、そ
の数があまりに多く、まるで森全体が声を得たかのような光景だった。
 ぎちぎちと、骨と骨が打ち鳴らされるような奇妙な声が、溢れる。
 木の幹に這い登り、枝からぶら下がり、異形の者たちがおこぼれにあずか
ろうと、待っている。

 その中心にいると言うのに、天使は実に静かだった。
 ただ立っているだけの姿勢だったが、視線は最初に現れた大きな鳥の悪魔
に向けつつ、猫と木の悪魔からもすぐに対処出来る距離にいる。隙がない。
 (あの目が嘘みたいだ)
 悪魔は、そんなことを思った。
 抗議するような、感情を灯した目。それとは今かけ離れた、静かな青い瞳
だけが、その場に立っていた。
 客観的に見ているはずの悪魔の方がよほど、この状況に躊躇っているよう
だった。
 「……やっぱこれって、俺のせい、か?」
 誰に告げるつもりもなく、悪魔はもう一度小さくぼやいた。
 「なんだいカツェント、いたのかい」
 まるで今初めて気がついたかのように、木の悪魔がそのぼやきに反応した。
 何も遮るもののないこの四角い空間に、天使と二人でいたのだから、見え
ていないわけもないだろう。邪魔なので、無視をした。それがありありと表
れた挨拶だった。
 地獄では日常的な挨拶なため、悪魔は聞き流す。
 「あー……なんてーか、てめぇら何の用?」
 こちらも挨拶としてはあんまりな挨拶だ。
 「何の用? 食事だよ! 決まってるだろ」
 木の悪魔は面倒くさそうに告げる。決まり切ったことを聞かれて不愉快の
ようだ。
 なるほど、確かに答えを聞いて納得した。当たり前のことだった。食
とは大多数の悪魔にとって人生の全てらしい。生命の糧、娯楽、目的、探求、
優越感。より多くの食事を得ることが、強者の証でもあった。
 そんな輩が天使という獲物を逃すはずがないわけだ。
 しかも上空から堕ちて来ているのだから、いきなり骸となっている可能性
もあるわけだ。
 なるほど、要するに、彼は最高のご馳走だったわけだ。
 今さら過ぎることに気付きながら、場所をすぐに移動しなかったことを悔
やんだ。
 しかも、たまたま上を見上げていた者だけならもっと少なかったろう。
 派手な爆音まで立ててご丁寧に周囲の注目を集めてしまった。
 それ故のこの数、というわけだ。
 ますます、悪魔は面倒くさくなった。
 しかし簡単に譲ってやれるほど、寛容でもなかった。
 それも、ようやく手に入れようとした退屈≠殺せるナイフだ。
 「まあちょっと待て、てめぇら。特に、ファート、ガダズ、リスグ」
 やる気も覇気もあったものじゃない声だったが、一応に呼びかけに効果は
あったのか、森から出て来た3人の悪魔の視線がこちらへと向かう。
 賢いことを考えるのは苦手だった。しかし今、一番面倒くさくなく、この
場を収める方法はこのリーダー角の3名を黙らせることだった。言葉の通じ
る3人だ。説得とやらを、試みる価値はある。
 「そいつは俺の獲物だ」

 全然説得ではない、ことに当人が気付いたのは相手の反応を見てからだっ
た。
 ふん、と、猫の悪魔が鼻を鳴らした。
 「笑わせてくれるな、カツェント。あんたが喰うのは血肉じゃない。だっ
たら、俺らが喰った後の残りでいいはずだろ」
 「あー……」
 効果がないことに、虚しく悪魔が空振りの声を上げる。
 何とか他の言葉を探すが、すぐには出て来ず、話が終わったと思った猫の
悪魔が再び天使に飛びかかった。
 「げっ、ちょっ、リスグ……!」
 慌てて悪魔が呼びかけるも、その牙は真っすぐに天使の上へと落ちる。
 木の悪魔の時のように、腕で受け止めるわけにはいかない。天使は牙を避
けるために後方へと移動した。
 その位置へ降り注ぐのは、鋼の羽根。
 「待てっつってんだろ、ガダズ!」
 それさえ読んでいたのか、天使はさらに後方へと飛んで羽根を避け切る。
 しかし、それ以上移動させないために、木の悪魔が背後へと周り込んでい
た。鋭い爪が、振り上げられる。
 「終わりだよ!」
 「ファート!!」
 横からの怒鳴り声などまるで無視して、木の悪魔はその爪を素早く下ろす。
 それより早く、天使は後方を足で薙いだ。
 木の悪魔がそれをまともに受け、体勢を崩す。爪は天使に届かない。
 天使は前方に腕を伸ばす。
 地面に刺さった鋼の羽根を抜く。羽根の持つ魔力に光力を消され、焼ける
ような痛みが走ったが、黙殺してそれを猫の悪魔に投げた。
 猫の悪魔は驚いて、必要以上に高く跳躍する。森に近い場所へと降りて、
毛を逆立てる。
 もう一枚、羽根を抜き、鳥の悪魔に振り向く。
 追撃をくわえようとしていたのだろう体勢からその視線を受け、鳥は黙っ
て広げようとしていた片翼を畳んだ。
 

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