第1章「悪魔なんて最低だ」



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【第1章―4】

 ようやく正しい形を取り戻した。天使はそう実感する。
 さあ、ではこれからどうする。まず、剣だ。立ち上がれたとは言え、上位
悪魔相手に剣もない丸腰では対抗し切れないだろう。この場を切り抜けるた
めには剣が必要だ。しかし、白剣は悪魔の向こう側。あちらもそれを考慮し
た戦術を組んで来ることだろう。
 (どう戦う)
 未知の相手に、幾通りもの思案が巡る。

 「いや、でも、ちげーんだよ、これじゃいつもとおんなじだ」

 舌の根も乾かぬ内、と言う言葉がある。
 今の状況で言わずにいつ使う。
 悪魔は先程までの態度を一変させ、考え込むように頭を抱えた。
 その姿と、先程の台詞とを合わせると、どうやら悪魔は戦闘以外のことを
望んでいるようだ。
 それにしてはその場の気分で動いているかのような感を受ける。こちらの
挑発にも乗りやすい。が、冷めやすい。先程の冷たい気配も、今のやや間の
抜けた姿も、どちらも演技には見えない。感情の起伏が激しいのだろうか。
だとするとあまりに極端であり、切り替わりも早すぎる。
 天使は自身よりも年齢の高そうな相手に、まるで子供だと、そう思った。
 悪魔は長寿なはずだ。見た目ですでに年上なのだから、実年齢はもっと離
れているのだろう。それなのに迷子の子供のような不安定さだ。堕ちて来た
のは天使で、悪魔はこの地の住民のはずなのに、逆にしか思えなくなって来
る。
 せっかく常識的な状況になったと言うのに、ものの数秒でそれが崩れてし
まう。
 全身すでに痛いと言うのに、さらに頭痛まで襲ってきた。
 「……どうしろと」
 思わず、力なく呟く。悪魔に対しての問いでもあったが、どちらかと言え
ば天高くいるはずの神への嘆きに近かった。
 「てかっ、てめぇのせいだからな! てめぇが考えやがれ!」
 あげく、何故か怒られる。頭痛が酷くなる。
 深く、ため息をつくことで何とか頭痛を吐き出して、問いかける。
 「君の望みがわからない。先にも確認したが、私は天使で、君は悪魔だ。
戦時ではないとは言え、争うことは必然。何の不思議もない。特に、私の方
は侵入者だ。君がそれを選択しない理由がわからない」
 「だからっ、めんどっくせー奴だなぁ! これだから天使ってぇのは嫌ぇ
なんだよ!」
 「嫌いなのに何故会話をしようとするんだ……」
 「嫌いな奴としゃべっちゃいけねぇってぇのか? じゃあ俺ほぼ毎日しゃ
べれねぇんだけど」
 「……余計な口を挟んだ」
 「てぇか、もっと簡単なことだ! 確かに天使は嫌ぇだが、てめぇが堕ち
て来た時になんかラッキー≠チて思ったんだよ、俺が! 別に腹空かせて
たわけじゃねぇし、手柄が欲しいってわけでもねぇ。でもなんかすげー退屈
な時に面白いもんが来たって思ったのに、戦って勝つだけじゃあ悪魔相手で
も魔獣相手でもおんなじだ。それじゃ結局すぐつまんねーってことになっち
まうんだよ! どうにかしろ!」
 (―――どうしろと)
 もう一度―――今度は声に出すことすら億劫で―――胸の内で言葉を繰り
返す。むしろ誰かにどうにかして欲しいのだが、生憎と自分一人で堕ちて来
たのだ。自分一人でどうにかするしかない。
 天使は痛む頭を何とか持ち上げながら、ゆっくりと、横へ歩を進め始める。
 「つまり君は、戦いたくない。しかし私は、闘争以外に君に提供出来るも
のはない」
 そう告げれば、悪魔は心底不思議そうに小首を傾げて見せる。
 「ああ? なんだ、てめぇ、戦争しに来たのか?」
 一直線な物言いに、やや眉を上げる。そう捉えられても仕方のない言い方
だったと思い直し、違うと首を振る。
 「私は大道芸人でも、役者でも芸術家でもない。君に娯楽は与えられない。
諦めてくれ」
 「じゃあてめぇは何なんだ?」
 「騎士だ」
 迷わず答える。
 迷うはずがない、ただその一言。
 悪魔は少し嫌そうな顔をした。
 「あー、知ってる。お堅い天使サマん中でもさらにガッチガチにお堅くっ
て面倒な連中なことだろ?」
 「それはただの君の主観だろう」
 深く考えれば不快になるだろう発言だったが、真剣に受け止める気にすら
ならず、訂正もろくにしない。
 一度子供だと位置付けした相手の無遠慮な発言に、気持ちが騒ぐこともな
い。
 しかし、歩が止まる。
 中身がないような会話を続けていた相手が、位置を移動した。
 後ろへ、下がる。天使と白剣の丁度間に立つようにして、白剣に近づく。
 赤い瞳が、楽しそうに歪む。
 さすがに、本当の子供ほど思慮がないわけではないらしい。
 何とか誤魔化して近づけるかと思ったが、考えなしなのは演技なのか、勘
が鋭いのか、場慣れしているのか、その全てか。
 「で、騎士サマってぇのはこれがないと何もできねぇのか?」
 これ、と、親指を立てて後ろを指す。
 息を吐いて、天使は回り込むことは止め、真っすぐに近づく。
 悪魔はさらに白剣に近づき、大鎌の柄を右手で持って天使に向けた。
 仕方なしに、天使は歩みを止める。
 「……私も争うことは本意ではない」
 「けど、コレがねぇとまともに話もできねぇって?」
 と、悪魔は左手を白剣の柄に置いた。
 天使は驚いて瞳を丸くする。
 次の瞬間、
 「あっちぃーーーいっ!」
 予想通り過ぎる悪魔の反応に、天使はさらに狼狽する。
 「だ、大丈夫か?」
 思わず、そんな言葉も出てしまう。
 「てか、何これ?」
 白剣からすぐに離した左手を振りながら、悪魔が半泣きで尋ねて来る。
 「光力が宿っているから、悪魔は触れれば魔力を消されて痛いはずだ」
 「もちっと早く言いやがれ、そういうことはよ!」
 「と、言うか、天使が持っている剣なんてほとんど聖剣なんだ。君はもう
少し思い付きで行動するのを控えた方がいい」
 本気で対処の仕方に悩む相手と出会ってしまったと、天使は深く思い知ら
された。忘れていた頭痛が蘇る。
 天使に気遣われていることに気付いたのか、ただ自分の失態を誤魔化した
かったのか、悪魔は白剣から一歩遠のいて、一つ咳払い、改めて会話を再開
させる。
 「んで? 天使の騎士ってーのは、戦うことしか出来ねぇって?」
 悪魔のペースについて行けない。しかし、相手は数秒前の出来事をなかっ
たことにしたいのだろう。蒸し返すのも悪い。
 もはや人助けの気持ちで、天使も会話を元に戻す。
 「戦いが、騎士の全てではない。しかし、自らが選び、忠誠を誓った主君
の盾となり、剣となる。その術しか知らない」
 「戦うつもりがないって相手にも、剣が欲しいんだろ?」
 「……すまないが、君の思惑も読めない状況では、剣は必要だ」
 言葉を選ぼうともしたが、ここまで直球で言葉を投げかけて来る―――演
技だとしても、少なくともそう思えていない内は―――相手に、天使もまた
正直な言葉を述べた。
 意外だったのか、悪魔は数度まばたきをする。
 「俺が? なんか企んでる、て? 例えば?」
 「仲間が来るまでの、時間稼ぎ」
 「はっ、残念! 俺は天使一匹相手に仲間頼るほど、弱か…」
 と、そこで突然、天使が飛んだ。
 悪魔と離れるように白翼を羽ばたかせ、跳び、少し離れた大地に降りた。
 天使が先程までいた場所には、大きな鋼色をした羽根が数枚、まるで投げ
ナイフのように鋭く突き刺さっていた。
 「ねぇー……よ?」
 悪魔は、歯切れ悪く、そう言って、止まる。
 数秒、沈黙が落ちた。
 ざわざわと、森がざわめき始める。
 攻撃は一か所からだった。しかし、数多の気配が、この小さな四角い空間
に集結しつつあることがわかる。音と、殺意。それらが、足や爪、牙や角を
引きつれてやって来る。
 それらを感じ取り、もはや避けられないことを知り、天使は胸の内で何か
を諦め、何かに憤り、何かどうしようもない感情を瞳の中に掻き集めて、そ
れを一点に注ぐ。
 悪魔へ。
 遠慮なく最高に鋭利に真っすぐ。
 その瞳を受けて、悪魔が肩を跳ねさせ、冷や汗を流す。
 「え、何? え、これ、俺? 俺のせい?」
 そんな悪魔の問いかけは、誰にも答えられずに虚しく消えた。


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