第1章「悪魔なんて最低だ」



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【第1章―1】

 地獄に光は生まれない。
 空≠ニ呼ばれるものもなく、ただ地面からひたすらに上がった先に天国
の底が圧し掛かっている。天国の底よりは低く、高い山々は届かない位置が
空に類する空間で、雲も浮く。しかしそこに星が生まれることも、月が瞬く
ことも、太陽が昇ることもない。
 光は天国の底に空いた穴からこぼれてくる。それだけだ。
 太陽のこぼれ落ちる様も、月が雲を透かす様も、星が移ろうその様も、そ
のぽっかりと空いた四角い穴から見えるのみ。
 穴は大小様々で、翼を広げた竜の大群が通れるほどの大穴もあれば、小さ
な細い線の光しか零れないような穴もある。いずれも四角く、正方形。
 ほぼ光が届かなくなるまで穴が一個も存在しない地もあれば、夜でも月灯
りで行動出来るほど穴が多い土地もある。
 ここはまあまあ、そこそこ大きな穴が近く、小さな穴も数個ある。
 なので今が昼だと、容易に知れる。

 「明るいな」
 誰に告げるわけでもなく、彼はそう呟いた。

 地獄にあって、地獄とは思えない光の中に、その男はいた。
 深紅の帽子は背が高く、その下には長い茶髪。身に纏う衣服は実用性より
も見目にこだわられているようで、いくつもの装飾品が留められている。
 長身で、その肩には巨大な鎌が担がれている。
 得物に不釣り合いな、覇気のない表情をしている。元よりの垂れ目も相ま
り、その赤い瞳はぼんやりと、見るともなしに視界の中の光を映していた。
 先程の独り言もまた、思いついたことを、ただ口にしただけに過ぎない。

 地獄の植物は光を嫌う。
 光があれば枯れる、というわけでもないのだが、苦手なのだろう。光の降
り注ぐその空間に高い木は生えず、短い下草が硬い地面を覆っているだけ。
 その四角い空間の外れに大きな岩があり、その岩の上に、彼は腰かけて時
間を過ごした。
 大抵の悪魔も魔獣も光は苦手だ。
 下位の悪魔はこの空間を避け、上位の悪魔だとて好んで訪れようとはしな
い。
 彼も地獄の住人。立派な悪魔の一人だった。
 しかしながら、光のためにわざわざ迂回をしなければならない下位の悪魔
を笑う程度には、光の影響を受けない上位の悪魔だった。内容された魔力が
高く大きく、その身を光に蝕まれるようなことはない。
 かと言って特段光が好きと言うわけではなかった。
 ならば何故ここにいるかと言えば、前述通り、ここを好んで訪れる者はい
ない。

 つまりは、ここで彼のサボり行為を見咎める者はいない。
 
 「サボり? いいや、これだって立派な見回りだろ。天国から直結の穴な
んて、危険地区、誰も近寄りたがんねーから、俺が見てやってるわけで。俺
様ってば頼れる悪魔だな」
 思い至った単語を自ら否定し、さらに脚色しては満足気に頷き、悪魔は再
び時間の中に意識を沈めた。
 今が昼だから、夕方までここにいて、帰ればいい。そうすれば面倒なこと
を言いつけられるようなこともなく、今日一日は見回りだけで終わる。
 彼は面倒くさいことを嫌悪した。
 ただ、同じくらい嫌いなものもう一つあった。
 それは、退屈、だ。
 ふと、気付く。
 この状況は面倒くさくない。
 しかし、退屈だ。
 「……しくった」
 そう長い時間経っていないと言うのに、この状況に彼はすでに飽きていた。
 思いついた時は「俺ってば天才!」と思っており、事実何回かこの作戦を
決行したことがある。
 今までは何とも思わなかった。
 しかし慣れ≠ェ生まれてしまった。
 そうして、飽き≠ェ来て、退屈≠ェ目覚めてしまう。
 その行程を想像出来なかった。今至って初めて、それに気付く。
 「やべぇ、なんかおもしれーもん、こねぇかな」
 そこまで至ってなお、彼は自ら動くことはしなかった。したくなかった。
思いつかなかった。
 いや、きっと半日ほどここで何かを待ち続けていれば、動くこともしたの
かも知れない。
 しかし、そう時間を置かずに、彼の元に何か≠ェ訪れた。

 ふと、視界の中の光が、数瞬、薄らいだ気がした。
 自然と、彼は赤い瞳を上へと上げた。
 雲は一つもない。
 まだ何も、見えるような距離ではなかった。
 しかし、
 「なんか通った≠ネ」
 彼は正確に状況を把握した。
 闇が揺らめく匂いがした。
 それは、いくら戦闘に特化した悪魔であっても、嗅ぎ分けられるものでは
ない。勘に近い何かであるが、悪魔は自身のその判断を決して疑ってはいな
かった。
 岩の上に立ち上がる。
 少しでも、自分の身の丈程度でも、新しく手に入った状況≠ノ近づきた
かった。言わばそれは待ち望んだおもちゃ≠ナあり、退屈を殺せるナイ
フ≠セった。
 息さえ忘れて、空間を見やる。
 やがて、一点の光が、光の中で瞬いた。
 白。
 認識出来たのは色だった。
 その色は歓迎すべき色だった。
 攻撃していい色。
 一瞬で、彼がそこまで思考を巡らせたわけではない。
 色を見つけた次には、口元は大きく笑みを刻み、右腕は、地面から水平に
彼の横へと掲げられた。次には、彼を囲むように五つの光が、空間に浮かぶ。
 赤い光が、正確な円を描き、円の中で文字を生む。
 それが飛び出す。真っすぐ、上方へ向かい、赤い線が飛ぶ。



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